当記事にはショッキングな内容が含まれています。そのような表現に耐性の無い方は、絶対に閲覧しないでください。
この記事では、閲覧注意な禁断の内容に触れていく。
今回紹介するのは、子供時代に大人から性的に手を出された人の体験談だ。
決して許されるべきではない行為のため、ショッキングな内容に弱い方は気をつけてほしい。
体験談① 叔母が胸を差し出してきて…
私の家の隣には、母親の兄弟が住んでいて、同年代の従兄弟がいた。
彼の母親である叔母は、親が留守にしがちな私の面倒をよく見てくれた。
当時の私は小学生で、叔母は40代そこそこだった。
ある日、私の親が田舎に帰り、叔母の家に何日か世話になったことがあった。
従兄弟の家で食事をとり、夜は自宅で1人で留守番なので、叔母も一緒に泊まってくれた。
休日の朝、寝室に叔母を起こしにいくと、彼女は寝ていた。
正確に言えば、起きて横になっていた。
「一緒に寝よう」と言われ、私は叔母の布団に潜り込む。
なぜか彼女はパジャマを着ておらず、下着姿だった。
叔母はおもむろにブラジャーを取り、「はい、オッパイ」と私に胸を差し出した。
「えー赤ちゃんじゃないし、僕小学生だよ!」
彼女は笑いながら、「いいから」と言って、胸を私の口に押し付けた。
今の感覚で言うなら、叔母は痩身のわりには、かなりの美乳だった(笑)
赤ん坊は、栄養をとるために母親の乳首を吸う。
生きるための本能なので、そこに何の感情も抱かない。
だが、ミルクが出ない乳首をくわえさせられたとき、本能ではなく、妙な感情に包まれた。
「吸ってもミルク出ないよ?」
「じゃあ、舌で転がしてごらん」
乳首を舌で転がしたとたん、叔母からかすかな吐息が漏れた気がした。
「おばさん、苦しそうだけど大丈夫?」
「大丈夫、続けて」
彼女は顔を上に向けているので、表情は見えない。
しかし、手は下着の中に当てられていた。
好奇心に駆られた私は、こっそり手を伸ばし、秘部に触ろうと試みた。
その瞬間、叔母の手で元に戻され、さらに力強く顔を胸にあてられたので、身動きができなくなった。
しばらくして、彼女の息使いが荒くなり、体がビクッと痙攣した。
母親から、叔母は体が弱くて喘息持ちだということを聞いていたので、当時は発作だと思った。
頃合いを見て、心配がちに叔母の顔を覗き込むと、彼女は気だるそうにしていた。
だが、今にも眠りに落ちそうな、満足感あふれた表情をしていたのだ。
その後、私は成長して物心がつき、男女の仲を少しずつ理解し始めた。
叔母の「アレ」は甥っ子を甘えさせるためではなく、彼女の自慰行為であり、私はその道具にされていたことを悟った。
今では、当時の叔母と同じような年代になり、男女や夫婦間の営みを理解した上で、あの「遊び」を捉えている。
その時代は、現代のように「熟女」と言われてチヤホヤされるわけでもなく、出会い系サイトのように開かれたコミュニケーション手段もなかった。
私は歳をとると共に、叔父と叔母の夫婦関係が、ずいぶん前から冷え込んでいたことを知っていった。
そういえば中学生のころ、田舎から大学生の従兄弟が、1年くらいうちに下宿していたことがあった。
彼いわく、「隣の叔母さんが、夕飯食べにこいってうるさいんだ」そうだ。
その後に従兄弟はアパートに移り住んだが、叔母が何度か食事を差し入れに行っていたらしい。
甥っ子の世話を甲斐甲斐しくしていたのだろうが、「別の意図もあったのでは?」と思うのは、私の勘繰りすぎだろうか…。
体験談② 小学2年生のときにフェラされた話
私の初フェラ経験は、小学2年生のときである。
ただし、された相手は女性ではなく男性である。
ちなみに、ちゃんと女性にフェラしてもらったのは、悲しいかなそれから10年以上後、大学に入ってからのことである(笑)
私は小さい頃、「女の子みたい」と可愛がられることが多く、素直な性格も乗じて女性にモテる時期があった。
当時はあまり体が強くなく、病院に1年ほど入退院を繰り返しており、初フェラの経験はそのときの話になる。
入院すると、病院の看護師さんたちの中で「可愛い」とすぐ人気になり、同級生の女の子からもラブレターを貰ったりと、今思えば当時が一番のモテ期だったように思う(笑)
人懐っこい私は、小学5、6年生の年上の小学生たちにも好かれ、金魚の糞のようにあちこち付いて回り遊んでもらっていた。
「手下になるか?」と聞かれて「なるなる!」と答えた私は、病院でお兄ちゃんが急に沢山できたような気がして嬉しかった。
そして、初フェラしてきた男をSとする。
彼もその“お兄ちゃん”の中に含まれていた。
Sはお調子者だが、気弱な性格をしていた。
キャラで言うとドラえもんのスネ夫に近い。
外見は坊主頭で、ひょろっとした細い体型をしていた。
今思うとホモ特有の空気を持っていた。
最初にSと遊んでいたときは、普通にトランプやボードゲームをしていたのだが、数ヶ月経った頃、「ゲームで負けたら罰ゲームをしよう」と提案してきた。
その罰ゲームとは、敗者のちんこを掴むというものだった。
それを聞いた子供の私は、いたずらでよくやるカンチョウや電気あんまなどと同じようなものだろうと承諾し、ゲームを開始。
何度か負けてしまった私は、Sにちんこをズボンの上から触られた。
その後も、Sは2人きりのときに限って罰ゲームを提案してくるようになり、ズボンの上からがパンツの上から、最後は直接になっていった。
触られている間、何をされているのかはあまり理解できないまま、負けてしまったからしょうがないという感覚だけがあった。
当時はまだ小学2年生で、精通もしていない状態であったが、触られたり刺激を与えられると子供ながらにちゃんと反応するようで、Sから長時間触られるといつも小さく勃起していた。
そして、ついに(?)Sが「舐めさせてほしい」とお願いしてきた。
もちろん、それが性的な行為であることは知らず、そんな汚い物を舐めるなんて気持ち悪いと考えて断ったのだが、Sは慕っている先輩の中の1人だったため、最終的に拒めずSに咥えられてしまった。
先っぽに舌を当てて尿道を刺激するせいで、おしっこが出そうになり、そのことを伝えると「口の中に出してもいい」とまで言われた。
その後も何度かフェラされることがあり、あるときは私を2階の窓辺に立たせ、Sがしゃがんでフェラをするという状況もあった。
それを1階の庭で遊ぶ友人たちに見つかり、「何してんのー、一緒に遊ぼうぜー」と声を掛けられたが、まさか私が彼らから見えないところで、ちんこを先輩に咥えられていたとは夢にも思わないだろう。
それからの私はなんとなく、Sにされていることが他の友人たちにバレたらまずいことになると感じ始め、徐々にSと距離を取るようになっていった。
Sとはほとんど遊ばなくなってきた頃、病院で楽団による演奏会が開かれた。
そのとき後ろのほうの席から、なんとSが私の1個下の後輩の男の子にフェラをしていた、という話が聞こえてきた。
実際に私もその姿を目撃し、Sと遊ばなくなった後に他のターゲットを見つけたのかという思いと同時に、皆に見つかったのが自分でなくて良かったと安堵した。
それから私はすぐに退院したため、その後Sがどうなったのかは分からない。
Sの父親はとても厳しいことで有名で、土日などは病院に子供たちの親が迎えに来るのだが、その際にSを大声で怒鳴りつける場面もたびたび目撃した。
そのような抑圧された環境で育ったことが、Sを歪んだ性癖にしたのかもしれない。
私が当時されたことの意味を理解したのは、中学に入ってからであった。
当時は射精こそしなかったものの、フェラされることに多少の快感があったのを覚えている。
子供は性に関する知識がないため、何をされているのか分からないことに加え、恥ずかしさから周りに言えない場合が多い。
この体験はネタとして親しい友人などに話せるレベルだが、もしこれがフェラをされたのではなくさせられていたら、『掘られていたかもしれない』と考えると確実にトラウマものである。
まとめ

今回は、少々ショッキングな体験談を紹介してきた。
「小さな子供ならバレない」「小さな子供に性的な魅力を感じる」
手を出す人間の真意は分からないが、小さい子に手をかける人間は許されるべきではないと思う。